お嬢様は『切刻まれる』のがお好き
夜空さくら
豚肉を生で食べてはいけない時代があったそうです。
わたしも詳しくはないのですが、危険な原虫に感染していることが多く、それを食べると人体に悪影響があったのだとか。
いまではとても考えられないことでした。そもそも家畜の品質自体も変わっているということもありますが、人自体がほとんどの病気を克服することが出来たからです。
一昔前までは一口飲めば即死すると言われた毒物ですら、今の人は平気な顔で呑み干せます。
だから、人間をスライスして食べるという食べ方も、いまでは立派な調理法の一つです。
目の前で逆さまに吊り下げられている『わたし』が、あっという間に薄い肉へと変わって行きます。
メイドがお皿に載せてくれたそれを、わたしは自分の口に運びました。
柔らかな肉そのものの味が口の中に広がります。最近は特殊な香りを放つ薬草を身体中に擦りこんでいたこともあり、何の調味料もふるっていないのにそこそこ味がしました。
しかし、やはりただ単純にスライスした肉は筋が硬く、噛み切るのに少し苦労してしまいます。
わたしは口元を拭いつつ、悩みました。
「うーん……わたしは自分の肉を食べることに慣れているからいいのですけど……肉食に慣れていない人は食べにくいかもしれませんわね」
「そうですね……しかし人体の構造上、いまのお嬢様の身体以上に柔らかくすることは難しいかと……」
わたしの肉を載せた皿を持ってきてくれたメイドは、そう言い辛そうに応えます。
顎に手を当てて考え込みました。
「……そうですわね……何かいい方法はないものでしょうか?」
吊るし切りという手法自体はいいものだと自負しています。インパクトとしては十分でしょう。
問題は、インパクトを重視した方法で調理しつつ、そして即座に口に出来るものを産み出さなければならないということでした。
焼いたり煮たりは王道ですが、今度のパーティーに来る人々であれば、そんな調理方法は飽きているはずです。
生食というものに目をつけたまでは良かったのですが、そこからどう上手く調理するかが問題でした。
黙々と『わたし』を切り刻んでいた礼司さんは、『わたし』の血で汚れた手をエプロンで拭いながら口を開きました。
「でしたら……こういう方法はいかがでしょうか?」
礼司さんが説明してくれた調理方法は、シンプルでありながら、わたしを期待させてくれるものでした。
社交界において、パーティーを開くというのは一種のステータスです。
わたしの家はそれなりに大きな家柄ですので、こういうパーティーを主催することはよくあります。
普段父様が主催するパーティーでは、わたしは煌びやかなドレスに身を包み、美味しい料理もたくさん並べられ、華やかな会場が用意されています。
今回はわたしが主催するパーティーですので、いつもとは少し趣向が違います。
「いらっしゃいませ。大水地様。本日はお越しいただきありがとうございます」
わたしは会場の入り口に立って、お客様を出迎えます。普段のパーティーではここまではしないのですが、今日は特別です。
ふくよかな体格をなさっている大水地様は、その身体を軽く揺すりながら微笑みます。
「はっはっはっ。カナエお嬢様主催のパーティーとあらば、何を置いても駆けつけなければなりますまい。願わくば、私一人で独占したいくらいなのですがね」
大食漢で知られる大水地様は、わたしの知り合いの中でも稀有な方として知られています。
「大水地様のような、わたしの全てを包みこんでくださる殿方に巡り会いたいものです」
「はっはっはっ! それは酷な話だ!」
大水地様のように、一度の食事で全てを食らい尽くせる方はそういません。
それがわたしにとっては残念なことです。
「ともあれ、余興も含めて楽しみにしておりますよ」
大水地様はわたしの身体に熱い視線を送ってくださいました。
普通のパーティーであれば不躾に取りかねない視線の熱さでしたが、いまこの場においては何より嬉しい視線です。
このパーティーに参加してくださる方は、皆ぎらぎらとした、むき出しの野性が垣間見える目をしておられます。
わたしはその視線をイの一番に感じたいからこそ、こうしてお客様を出迎える位置に立っているのですから。
次々集まってくるお客様の中に、一人様子の違うお客様がいました。
「ハロー、カナエ!」
その少しだけ違う言葉の発音に、わたしはすぐその人物の正体を悟ります。
「ミルトアさん、お久しぶりです」
「久しぶりネー! 今日はオマネキありがとう!」
ミルトアさんは、一言でいえば西洋人形のような方です。
国外から留学でやって来ている方で、非常に気さくで気風のいい方でした。
長い金髪にはふわふわとウェーブがかかり、その体格は小柄な部類のわたしからすると見上げるほどに立派なものです。
「本日はカナエを食べラレルの?」
「ええ、そうですよ。美味しく食べてくださいね」
「いいナァ! 今度アタシも食べてヨ!」
「機会があれば、ぜひ」
外国の方の味はわたしたちの国のそれとは違い、別の味わいがあります。
半ば偶然で繋がった縁でしたが、ミルトアさんと出会えた幸運には、神に感謝するばかりです。
さて、大体のお客様が入場したのを確認すると、わたしは舞台裏へと急ぎました。舞台裏では、コックたちが急いで準備を進めています。
「お客の皆さまがお越しになられました。皆さん、よろしくお願いします」
最後の挨拶を済ませて、わたしは着ていたドレスを脱ぎ去ります。
コピー体であるわたしが着るはずのなかったドレスは、すぐにメイドが回収して行きました。
少し名残惜しい気もしますが、躊躇っている暇はありません。
本来、食用のコピー体というものは、誕生して一時間以内に食べるのが最高だと言われています。
それは時間が経てば経つほど、肉質は劣化していくからです。コピー体の強みというのは、混じりけのない純粋な身体です。老廃物がほとんどない状態だからこそ、美味しく食べてもらえるのです。
すでにわたしが産み出されてから一時間が経過しています。今回はそれを見越して代謝能力を低くする調整を行っていますが、かなりギリギリであることには違いありません。
今回わたしが肉質を悪くしかねない行為をしているのは、精神的な話でした。
つまり、食される『わたし』自身がお客さまにご挨拶して、そしてその記憶を持ったまま食べられる。そのシチュエーションこそがわたしの求めていたものでした。
これを思いついた当初はいい思いつきだと思ったものですが、いざこうして調理される段階になると、あまりよくないことだったかもしれないと反省しました。
(わたしは十分以上に満足出来ると思いますが……それを優先して肉質を落とすのはよくありませんわね)
身につけていた衣服を全て脱ぎ、食材になったわたしの片足に、礼司さんが鉄の枷を取りつけます。もちろん、肌に当たる部分には柔らかい布があって、肌を傷つけないような配慮はなされています。
「失礼します。お嬢様」
そう礼司さんが言って壁際のコック見習い達に合図をします。
すると、その壁際にいたコック見習い達が壁に取り付けられていたハンドルを回し始めます。それは天井の滑車を動かすためのもので、それから無骨な鎖が垂れさがっていました。
「ずいぶん、原始的ですわよね」
昔ながらの人力である必要があるとは思えません。素直に疑問を口にすると、礼司さんは困ったように微笑みました。
「まあ、これはいわゆる形式美というものですからね。電動式ウインチを使えば手っ取り早いですし、そもそもこんな鎖を使う必要もないのですが……この形状が魅力という方もいらっしゃいますので」
そういって礼司さんは天井から垂れさがった鎖の先を足枷に繋ぎました。
そして引きあげていけば、わたしは片足を引かれ、逆さまになって天井へと引きあげられて行きます。
「……さすがに少し恥ずかしいですわね」
逆さまになってしまうと、片足しか引かれていないわたしはどうしても大股開きの体勢になってしまいます。開いた片足を吊られた片足に絡めて大股開きだけは防ぎますが、それでも恥ずかしいことに変わりはありません。
「ご安心ください、お嬢様。そのような目でお嬢様の身体を見るような不埒者は来賓の中にはいらっしゃらないでしょう」
「それはもちろん、わかってますわ」
そんな変な人を呼ぶほど、わたしの交友関係はおかしなものではありません。
礼司さんの合図に従って、天井の滑車自体が動き、わたしは逆さまに吊り下げられたまま、会場の方へと移動しました。
逆さまになった景色に、会場の様子が見えてきます。
わたしが登場すると同時に、来てくださっているお客様たちからは感嘆の声があがりました。
視線が全身に集中するのを感じて、思わず身体が熱くなります。
スポットライトのように光が当たり、眩しいくらいでした。
「皆さん、改めまして本日はようこそお越し下さいました」
そんな風に挨拶をしたのは、『わたし』の隣に立つオリジナルのわたしでした。
きちんとドレスに身を包み、丁寧にお辞儀をしています。そのドレスは先ほど『わたし』が脱いだもののはずです。素早く着替えたのです。
「今宵はわたしの肉をどうぞ心行くまでご堪能ください。用意させていただいた肉料理のほとんどはわたしの肉を……」
そう説明を続ける傍ら、礼司さんが『わたし』の背後に立ちました。
「失礼します、お嬢様」
わたしの説明を邪魔しないためでしょう、囁くような礼司さんの声が耳に届いたかと思うと、『わたし』の首を熱い感触が通り過ぎていきました。
激痛に目の前が瞬き、すぐに赤いものが『わたし』の視界を埋め尽くします。
「……さて、それでは本日のメインディッシュ、わたしの活け作りが始まったようですね」
わたしの声が遠くに聞こえます。
どんどん溢れて行くものが、真下に置かれたバケツの中に溜まっていっているのが、言われなくても理解出来ました。
「うちのシェフは人体解剖の専門家であり、数々の賞を取得しております。その見事な手腕は、調理されるわたしから非常に素晴らしく……」
やがて溢れ出て行くものが少なくなってくると、礼司さんは『わたし』の枷の付いていない方の脚を手に取りました。大きく九十度に開くように足を引かれ、『わたし』は朦朧とした意識の中でも少し恥ずかしく思いました。はしたない格好になっていることがわかったからです。
礼司さんはその足の付け根あたりにナイフを入れ、軽く一周させたかと思うと、あっさり『わたし』の足を切断してしまいました。
どよめきが遠く聞こえます。
「ご覧いただけましたでしょうか。ナイフ一本でここまで綺麗に人体を切断出来るのは……」
少し興奮気味にわたしが説明を続けています。
(あまり興奮すると はしたないですよ)
わたしの言動を客観的にそう思いながら、『わたし』の意識は闇に消えました。
いつものことですが、目の前で『わたし』が死ぬ瞬間というのは何度経験しても興奮するものです。
「いま、『わたし』が事切れたようです。あれだけの大量出血をしても暫く生きていられるのは……」
説明を続けながら、どんどん料理になっていく『わたし』を見て、わたしは何とも言えない興奮を覚えていました。
早く今回の『わたし』の記憶も追体験したいものです。でなければ、わたしはわたし自身を料理させてしまっていたことでしょう。
さすがにそれは問題です。とにかく興奮し過ぎないようにしつつ、説明に意識を集中しました。
わたしが説明を続けて行く間にも、礼司さんは『わたし』を調理していきます。両腕を切断し、お腹を開いて内臓を取り出し、さらに残った皮や脂肪を丁寧に切り剥がしていきます。
腕や足も細かく肉片へと切り刻んで行き、仕上げに包丁の峰でトントンと肉を叩き始めました。
「……『わたし』の身体は生のままでも食べられますが、そのままでは少々筋が硬く、食べにくいこともあるかと思います。そこで、このように丁寧に叩くことで、柔らかさを産み出しています」
さらに礼司さんは包丁を駆使し、肉に切り込みも入れて行きます。
そうやって作られた『わたし』の切れ端が、わたしの前に持ってこられました。
「それでは失礼して、先にいただきます。ご覧ください、この肉の輝きを」
脂肪が程良くついた肉は上品な味わいになるのです。痩せすぎず太りすぎず、この体型を維持するのも大変です。
さておき、わたしは『わたし』の刺身を口に入れて見ました。
じわりと味が舌の上に広がり、微かな苦みがいいアクセントになっています。
「……うん、とても美味しいです。どんどん切り分けさせますので、皆さんも新鮮な『わたし』の肉をどうぞご賞味ください」
次々配られ、『わたし』はお客様達の口の中に入って行きます。誰もが満足してくれているようでした。
「カナエ! とってもオイシイです!」
早速口にしてくださったらしいミルトアさんが微笑みながらそう声をかけてくれました。
わたしは笑顔で彼女に応じます。
「ありがとうございます、ミルトアさん」
「やっぱり、カナエには敵わないネ! アタシじゃこんな風にならないヨ。焼かないと食べられたものじゃないんダカラ」
「でも、カナエさんは焼いた時が最高に美味しいではありませんか。この間の丸焼きは圧巻でしたよ?」
外国サイズのミルトアさんを丸ごと焼くのですから迫力がないわけがありません。
焼きに特化した彼女の味は言葉に出来ないほどジューシーなうまみがありました。
正直に思った通りのことを言うと、ミルトアさんは得意げに笑いました。
「エヘヘ、アリガトね!」
こんな風に、お互いを味わい尽くせる友人がいる現実に、わたしは密かに感謝を捧げました。
その日、『わたし』の活け造りは非常に好評でパーティーは大成功でした。
~お嬢様は『切刻まれる』のがお好き 終わり~